~人とコトバ~
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犯罪と国籍

無防備なこどもを狙った許せない犯罪が続いている。


ひとつめの犯人は外国人だった。


取り返しのつかない罪は、国籍に関わりなく、法で裁かれる。



ニュースでは、名前とともに、「○○人の」という国籍が必ず流れる。


日本人なら「日本人の」という但し書きはもちろんつかない。


罪の重さは、日本人でも外国人でも同じだ。


犯人に同情する気持ちは微塵もないが、

むやみに、○○人、外国人に白い目を向けないよう、ここは、冷静になりたい。


特に、不安を募らせ、ニュースの一語一句に過敏になっている可哀想なこどもたちが

不必要に偏見をもつことのないように、親や学校やメディアは配慮し、ことばをつけたさなくては

いけないと思うのだ。


「外国人が皆悪いわけじゃないんだよ」と。



同じ国の出身だというだけで肩身の狭い思いをしている人は、何人いるだろう。


暫くはまた、外国人はアパート探しに苦労することだろう。


そういう意味では、仕事や勉強のために日本に来てまじめに頑張っている彼らも

二次的な被害者だとさえ言える。



進学目指して日本に来ている学生が、自転車で事故を起こした。


危ない乗り方をしていた本人の罪は免れ得ない。


しかし、ぶつかった相手の日本人女性は、実際の被害以上に大仰に騒ぎ立て、


「日本語もろくにしゃべれないヤツが日本の町をうろうろするんじゃない!!」


と怒鳴ったというのだ。


ひどい話ではないか。同じ日本人として怒りとともに恥ずかしさを感じる。


この学生は先月来たばかり。 日本語がわからないからこそ、毎日一生懸命勉強している。



留学生を増やそうというのは日本政府が進めてきた方針だし、少子化で経営が厳しくなる


専門学校や大学にとっても、留学生は大切なお客さんなのだ。


労働力としての外国人も同じだ。


日本人がやりたがらない仕事の多くを、外国人がまかなっている。


日常、目に触れなくても、日本は既に経済構造として外国人を必要としている。



そういう経緯で入ってきている外国人と、うまくつきあい、共存する社会を作って行かなくてはならない。


外国人は卑屈になることなく、しかし、日本の社会・文化を積極的に謙虚に勉強して、

うまくとけ込めるように努力したらよい。自分の国のことを日本人にたくさん教えてほしい。


日本人は、特に日常外国人と接触のある人だけでなく、都会の人も郊外の人も、

末端のひとりひとりまでが、日本に住む外国人の実情を知り、お互いコミュニケーションのある社会を

作っていくよう、努力したらよい。


しかし、「実情を知る機会」は、やはりメディアが作るのだ。果たす役割にもっと期待したい。


とくに、これからの社会を作っていく若い人たちが見るテレビ番組に、自然に取り込んでほしい。


バラエティー番組におもしろおかしい存在として外国人を入れるばかりではなく、どこの国から

どんな人が来ていて、日本で何のために何をしているのか。 

日本で楽しいこと、大変なことは何か。 どうなったらよいと感じているのか。


犯罪が起きたときに、その背景として在日外国人のことが流れるのでは、あまりにも悲しい。



外国人と共存して、平和で安全な社会を手に入れるにはどうしたらよいのだろう。


ただ外から人が入ってくるのを見ているのではなく、もともと日本に住んでいるわたしたちも

意識し、変わっていかないと、遠からずフランスの暴動のようなことも起きるだろう。



QUEEN & PAUL RODGERS

最後の書き込みをしてから忙しくなり、なんと、4ヶ月も何も記事を書かないまま過ぎてしまった。


何度もブログを覗いてくださっていた皆さんには申し訳ない限り。


書き始めると、何度も自分で読み直して推敲しないと気が済まないので、時間がかかって…。


という言い訳はさておき、今日の本題。



行って参りました。 QUEEN & PAUL RODGERS !!

ロジャーとブライアンに、ヴォーカルはポール・ロジャーズ。

まず、この組み合わせにいろいろな意見があるが、私個人としては、「新生クイーン」に期待しているわけではない。

(いや、そもそも、巷では「新生クイーン」と言われているけれど、本人達が名乗っているのを見れば、「クイーンポールロジャース」なのであり、ヴォーカルを替えたわけではないのですよね。 ) 

私たちに素晴らしい音楽をくれた4人のうちの2人が今も音楽活動をしているのは嬉しいことだし、活躍している同じ1940年代生まれの多くのミュージシャン同様、いつまでも続けて欲しいと思う。 でも、いつまでもQUEENという名に拘り縛られることなく、自由に活動したらどうか、という気もする、というわけです。

ツアー初日の26日。 7時開演。 20分を過ぎて幕が上がった! と、ギターを抱えたブライアンが消えた?! 足下の布が引っ張られて転倒…。 すぐに立ち上がったけれど、幕開けからハラハラ。

細かいステージの様子は他のレポートに譲るとして、正直、すごく年を感じましたね。

 

ロジャーは目つきの鋭さに貫禄を感じたけれど、声が不安定で、ハモリが全然合っていない歌もあれば、「あら、いい声出るじゃないの」と感じる歌もあり。 ドラムは体力要りそうで、叩くたびにふうふう言っているような感じで、見ているとこっちまで疲れてくるような…。

ブライアンのギターは昔と同じ音がしていた。でも、アコースティックは、気のせいか弦が押さえきれていないように聞こえるところも…。


ステージ構成としては、やたらとソロが多いことに気づく。 始めの数曲はギンギンのロックが続いたが、このまま2時間も続けられるのだろうか、と不安になったのは私だけではないだろう。 しかし杞憂だった。 その後は順番にソロが続いた。 他のメンバーは裏でゆっくり休めるというわけだ。

そんな2人だったが、「20年ぶり」とブライアンが言ったとき、ああ、その20年前のステージを私は見たんだ、と実感して、じ~ん。 


そう、81年の武道館ライブは知り合いに取ってもらったチケットが、何と一番前のど真ん中。

フレディの撒いたコップの水がかかったのだ! あの感動と興奮は忘れられない。

しかし、良い席かというと、そうは言えない。 ステージは高さがある。 その高いステージに近すぎて、

後方のドラムは全然見えなかったのだ。


そして85年の代々木。 この頃は曲調の変わったことにかなり興味が冷めており、全然聴いていなかった。

ところが、たまたまライブ当日に会場の前を通ってしまったのだ。 来日していることなど全然知らなかったのだが、この偶然。 後から思うと、運命の赤い糸を感じずにはいられない。

しかし、余裕で当日券が買えてしまったのだから、このころ人気が下降していたことは明白。


ライブの話に戻ろう。

Bohemian Rhapsody は、あたかもフレディがステージにいるような映像で始まり、泣かせた。

会場全ての人が、心の中にある同じものを想い、今もその彼の姿と声と音楽そのものを元気の素として存在している。そんな気がした。

懐古趣味とは違う。 かつて存在した天才的な人、グループ。 生み出した素晴らしい曲。 それを共通に心の中に持っている人が、こんなにいるんだ、という事実に感動できた。 行って良かった。

ところで、演奏する側も年なら、見に来ている方もそれなりに平均年齢が高い。 始まるなり総立ちになったものの、静かな曲に変わるとヤレヤレとばかりに腰を下ろす人も多かった(笑)。

大枚はたいて連れて行った小学校高学年の息子は、親の洗脳の甲斐あり、結構QUEENの曲を知っている。しかし、望遠鏡で好きなロジャーを覗いた彼は、「もうおじいさんだね…」    たしかに。

初めてライブというものを見た彼は、始まった途端に立ち上がってノリノリになる、おじさん・おばさんたちに圧倒されてしまった。 どうしたらいいかわからなくなった彼は「オレ座ってよー」と。 

おまけに、視界に入る隣の2人は英語話者のカップル。 ライブの最中にも膝に乗っかったり、撫で撫でし合ったり。およそ大和民族には真似の出来ないいちゃつき方で、 彼はますますどこを見たらいいのかわからなくなった。

座ってそっぽを向いているうちに、大音響が子守歌になってしまったようだ。 始まって20分もしないうちに、ふと見ると、…爆睡…。 


巨大なミラーボールがアリーナ中に星をまき散らしたり、レーザーが飛び交ったり、彼の好きな曲が流れたりするたびにパシパシとほっぺを叩いたが、効果無し。


私の右隣には、中学生くらいの男の子が、これまたお母さんに連れられて来ており、幕が上がる前からお母さんはメンバーについての蘊蓄を聞かせていた。しかし、この子はステージの演出ごとに「すごい、すごい」を連発。 歌もかなり歌っていた。 それに比べて左の我が子は…


無理矢理立たせて腕をとり、歌に合わせて振らせたのは既に定番のエンディングだった。



会場を出るとき、カップルの男性の方が息子の方を見て、ジェスチャー混じりに


「ネムイネー」


「だって、目のやり場に困っちゃったからじゃないか!」 と言いたかったが言えない本人は苦笑い。 


「ひとりで来るよりいいから気にしないわ」 と母が英語で返す。


カップルはちょっとびっくり。 駅までお喋りしながら歩いた。


オーストラリアンだった。 


"Are you a Queen Fan?" と彼。


”オーモチロン! だからこうして英語が少しでも話せるようになったのよ! ”


”ボクはイギリスでブライアンがフレディのお母さんと一緒にいるところに出会った。

握手をしてもらった。手が震えた。” と震える手を嬉しそうに再現してくれる。


”ワーオ、それはすごいね。 私はフレディがいる頃のライブを2回も東京で見たのよ”


”わー、いいなあ…”  (若い彼は生きている頃のフレディを知らないだろう。)


こんな感じで、すっかり盛り上がってしまった。



音楽は国境と世代を越えて、人をつなぐ。



(最後に。熟睡してしまった彼を知っている人は、決して本人の前でこの話をしないでください。親子関係が断絶します。 また、ライブには、本人が行きたいと言ったので連れて行ったこと、申し添えます!)


学習

今、30歳の台湾の青年、Tさんに日本語を教えている。


Tさんは日本企業で研修を受けるために来日。

 

研修前に3ヶ月の日本語の特訓を受けている。

 


以前、アジアから日本に憧れて留学してくる学生の多くは、日本のテレビドラマやアニメ、ポップスに親しんできており、それが動機となっていることを話した。


Tさんの場合はまた新たなケースだと思うので、それを紹介したい。


来日当初、彼は全く日本語を「勉強」したことがなかった。


しかし、単語を数多く知っており、こちらの話すことも何となくわかるようだった。


自分で話す方はというと、単語を並べることはできても、文にはならない。


つまり、体系的な文法をまったく知らない。


すぐに、学習歴がまったくないということが、わかった。



それにしても、どうして単語だけを知っているのだろう?



普通、勉強したことがない人が何か少し単語を知っているとすれば、


「こんにちは」「お元気ですか」「ありがとう」「いくらですか」「どこですか」


など、よく旅行ガイドにも載っているような簡単な挨拶と数字。


または、自分で勉強したことがなくても、現場で日本人と接触があり、耳から覚えてしまっているケース。



しかし、Tさんの場合はそんな程度にとどまらない。


もちろん、中国語がわかるから漢字で意味がわかってしまうという類でもなく、ちゃんと日本語の単語を知っている。


聞いてみると、中高生のとき、TVゲームをやっていて、必要にせまられて辞書を引いていた、とのこと。


すべてが日本語のRPGゲームだ。


TVゲームにもいろいろあるけれど、特にRPGの場合は、出てくる文章の意味がわからないことには先に進めないはず。


ゲームを先に進めるために、必死で辞書をひいてことばの意味を調べている15年前のTさんの姿が目に浮かぶようだ。


勉強はやっぱり動機が大切。


何が何でもわかりたい。わからないと困る! 


こういう状況に置かれる強さを改めて実感してしまった。



因みに、我が息子nakalは、漢字の勉強が大嫌いだが、変な漢字が意外とスラスラ読める。


「呪い」 「化身」 「洞窟」 …  


ゲームからだ。


でもやっぱり、自然と覚えられるなら、こんなにいいことはない! と手放しでは喜べない。






ROCK YOU!

心待ちにしていたロンドンのロック・ミュージカル、WE WILL ROCK YOU

 

見てきました!!!!!!


 

何年も前から見たくて、そのためにロンドンまで行って来ようか、と本気で考えた。


 

しかし、時々海外にも出ているようなので、ファンの多い日本にもそのうち来るのでは、と待っていた。

 

このミュージカルは、QUEENの曲をふんだんに盛り込んで構成されている。

 


 

詳細はこちらを → WE WILL ROCK YOU

 

期待通り!

 

20分の休憩を挟み3時間もあったが、全ての場面がすばらしかった。

 

不満だったことと言えば、ライブと違って皆がじっと座って見ているため、ついつい動き出してしまう体を押さえるのが大変だったこと。 非常なストレス。

 

何せイントロが流れた途端に曲がわかってしまい、口が動いてしまうのだから。

 

じっとしていろとは言われていないが、初めから一人でノリノリになっていたら、かなり目立つことは間違いない。 

 

悲しいかな、やっぱりそんなことを気にしてしまう日本人的性格。

 

本場では、たぶん皆もっと自由にノッて一緒に歌うのではないか、と思った。

 

ともかく、キャストたちの歌の上手さ、左右の高いところに配置されたバンドなどの舞台設定、楽しい映像や衣装、と、文句なしの舞台だった。

 

終了までに、是非もう一度見たい!!!

 

 

ところで、少しアカデミックな(?)ことも書こう。

 

このミュージカルのイギリスのサイトを見てみると、驚くべきおもしろいものが。

 

 http://queenonline.com/wewillrockyou/

 

↑ このリンクを開くと、左の下から2番目に、'education' という項目がある。

 

それをクリックすると、右に、teacher's notes 他、3つのリンクが出る。 

 

どれもPDFファイルだが、英語アレルギーでない方はちょっと開いてみてほしい。

 

 

これは、このミュージカルを見ることを中学校の授業に取り入れるための資料だ。

 

劇の背景はもちろん、内容を通してさまざまなワークショップができるように詳細な活動プログラムがのっている。

 

劇に同じ動きをするクローンが出てくるのだが、ペアになって相手の動きを真似てみる、とか、ある人物による抑圧を考えるため、社会的地位を10段階作って、それぞれの地位の人物になりきって空間を歩き回ってみる、とか。

 

日本でも演劇を教育に取り入れる試みはあるけれど、クリックひとつで、このような膨大な資料が手に入る事実に、ただただ驚いてしまった。

 

本場では、演劇が身近にあることを表すものでもあるだろう。

 

また、学校でこうしたカリキュラムを取り入れるのは、やはりひとクラス40人などという環境では無理なのだ。


いや、こんなテーマのところで、また愚痴を言うのはやめよう。


ロックよ、永遠なれ!


外国語の間違い2

このところ忙しくなってきて、更新がかなり難しくなっている。


もともとマメには程遠い性格なので、まだ続いていること自体が、自分としては驚異的。


でも、カウンタを見るとわざわざ開けてくださっている方がいて、申し訳ない気持ち。



さて、前回に続けて、外国語での間違いにまつわる話。


他人の間違いだけを書くのはひどいので、自分の思い出も。



過去に遡ること、ン十年。 小学校高学年のとき。 


ある国に滞在しており、夏のキャンプに参加した。


船で小さな島に渡る。


キャンプのコーチたちは英語しかわからない。


私は全然話せなかった。


コーチのひとりに、何かあげようと思った。


う~ん。 何と言えばいいのかな?


「あげる」 は…


勇気を出して品物を(拾った貝殻か何かだったと思う)差し出し、言った。


I take you.


ごくごくシンプルに単語をつなげただけ。 


たしかコーチが怪訝な顔をしたと思う。


後から気づいた。 あ、「あげる」は take じゃない。


その頃、たまたま 「ギブ アンド テイク」 というコトバを覚えたのだった。


それがふっと頭に浮かび、take と言ったのだが、間違えた! give の方だった!


後の祭り。


コーチが、まさか小学校高学年の女の子に 「あなたを連れて帰りたい」 と言われたなどと勘違いはしなかったと思うのだが…。

外国語の間違い

最近、本来のテーマである語学や留学生のことをちっとも書いていない。


反省。


以前住んでいた国であったエピソードを。


その地で日本語を学んでいる大学生を招いて、家でパーティーをしたことがある。


みんな、何年か日本語を勉強しているのだが、なかなかペラペラとはいかない。


宴もたけなわ。 キッチンの方にいた私のところへ女子学生がやってきて、話しかける。


すみません。 しょんべ○したい。」 


え。。。。。

一瞬、何を言われたのか考えてしまったが、間違いない。


平静を装い、言った。


「 ああ、お手洗いね。 そこですよ。 」



日本語を教えることを仕事にしてきて、未だに後悔し続けている出来事だ。


なぜ、「そのことばは、女性は使わない」とすぐに教えてあげなかったのだろう…。


後の祭り。 こういうことは、その場で言わなければ、後から言えるものではない。


「ストッキングが伝線していますよ」 と教えてあげるのと同じ類。



それにしても、どこで覚えたのだろう…。 辞書ではないだろうし。


どこかで出会った日本人が、おもしろがって教えたとしか思えない。


許せん!!


もう15年も前のことだ。 この学生は今何をしているだろうか。


日本語を使って仕事をしているだろうか。


自分の間違いに、いつ気づいただろうか。


あの後、恥をかくことがあったとしたら、教えてあげなかった私のせいでもある。


旅と乗り物8

広大なオーストラリアでファームステイをした。

肉牛を育てている老夫婦のファームだった。

家の中は美しいヴィクトリア調でまとめられていた。


泊まった翌日は、敷地を案内していただいた。

軽トラックの荷台には犬を乗せ、走る、走る。

敷地ってどこまで?

果てしなく続く。

羊たちが群れになって草をはんでいた。


車を降りて、犬が羊たちを集めるのを見ていると、そこへプルプルと大きな音。

空を見上げると、ヘリコプターだ。

何と、こちらへ降りてくる。

私たちの目の前にヘリは着陸した。


一体なに?

ヘリから降りてきた人は、ファームのご主人と紙を見ながらあちこち指さし、何やら話している。

数分でヘリはまた空へ上がっていった。

聞けば、何かを探していたが場所がわからないので聞きに降りてきた、と。


世界は広いなあ。







旅と乗り物7

         hituji


オーストラリアをレンタカーで回ったことがある。

地図を見ながらコースを決めたのが間違いだった。


シドニーから出発し、オーストラリア全体の地図の中では、ごくごく一部(数センチ分)を回っただけ。

しかし、恐ろしく距離があった。

移動の日は、行けども行けども同じ景色の道を、何時間も走り続けなければならないはめになった。


交通ルールで感心したこと。

ほとんど対向車には会わない状況で、制限速度というものはなかったような気がする。

そのかわり、カーブでは、「時速何マイル」という標識があった。

その数字通りにスピードを落とせば、ちゃんと曲がれる。

落とさなければ曲がりきれない。


当たり前のことだが、とても明快で合理的だと思った。

日本の道はどうだろう。

どこの道でも「制限速度」なるものが表示されているが、誰もそんなスピードを守っては走っていないという道の多いこと!

それでも捕まれば罰金だ。


なぜだろう。

数字に余裕を持たせすぎではないだろうか。

例えば、本当に危険なのは時速80キロ以上だが、余裕を持たせて「40キロ制限」。

ぎりぎりに設定しておくと、それが守られなければすぐ事故になる。

だからちょっと余裕を持たせて、少し超えてもすぐには危険な目に遭わないように…?。


親切? おせっかい?

その結果、守られないことが常習化。

自分や他人を守るためにルールがある、という意識も薄くさせている。


これは、こと道路交通法の話にとどまらないと思う。

文化の違いを示唆しているように感じる。


日本の電車の中のうるさいほどのアナウンス。

「急ブレーキで思わぬ怪我をされる場合がございます。つり革にお掴まりください」


警察のキャンペーン。

「自分の命を守るため、シートベルトを必ず締めましょう」


どちらも、言われなくてもだれでもわかっていることだ。

こういう注意は、他人の迷惑にならないようにせよ、という注意とは違う。

守らないことで損をするのは本人なのだから、しつこく言う意味も効果もない。


本当の締め切りは5日後だけれど、余裕を持たせて3日後。

そんなことが溢れているから、言われる方も、それがぎりぎりの数字だとは初めから捉えない。


言語の表現も同じかもしれない。

日本語には曖昧な表現や、婉曲表現が多い。


「あしたまでにできますか」と聞かれたら?

絶対無理だとわかっていても、「すみませんが、できません」とは答えない。

「う~ん、一応やってみますが、難しいかもしれませんねえ。」


余裕を持たせる文化。

道路標識もその違いが表れているのかな、とカーブを曲がりながら考えた。





旅と乗り物6

乗り物にまつわる話を、もう少し。


basha


車。 交通規則は、土地が変わっても基本的には似たようなものだ。

しかし、実際に慣れてみないとわからない、その土地の暗黙のルールのようなものがある。

交通教則を読んでもわからない、身体で感覚的に習得する部分。


例えば大阪。

初めて関西で知人の車に乗せてもらったとき、全ての車の運転がめちゃくちゃなことに仰天した。

こんなめちゃくちゃな運転マナーで、よく事故が起きないな、と不思議に思ったほどだ。


しかし、一見めちゃくちゃなのは関東人から見てめちゃくちゃなのであり、関西人にとってはそれがルールなのだろう。だから、事故だらけはならない。 

世の中の広さを妙なところで感じた次第。


一例は、割り込み。

車線変更は事前にウィンカーを出して…。

関東では当たり前。 今は、入れてもらえたらハザードランプでお礼までする。


大阪の車はハラハラするほど車間を詰めており、車線変更でもウィンカーを出さなかった。

知人に聞けば、「ウィンカーなんか出したら、割り込めないように却って車間を詰められる。だから何も出さない」 と言うではないか!

昔の話なので、今は違うかもしれないし、そのときも極端な例だったのかもしれない。


しかし、東京では事故になりかねない運転も、回りが納得している大阪では問題にならないということ。

おもしろい。

大阪人は、横の車がウィンカーを出さずに車線変更してきても、「勘」でそれがわかるのだろう。

それに基づき、車が流れている。

きっと東京人はわからない。


ことばや習慣も同じ。

自分が常識だと思っていることが、土地を変えると常識ではなくなる。

それどころか、非常識に当たってしまうかもしれない。


旅でそんな事例に出くわすと、移動した距離以上に世界が広がる気がする。



ゴムの時間

インドネシアには、JAM KARETということばがあった。

JAMは「時間」、KARETは「ゴム」。 つまり、「ゴムの時間」。

いくらでもビヨ~ンと伸びる時間。 ずれても気にならない約束。

時間にルーズなことを外国人が軽蔑的に指摘していたわけではなく、彼ら自身が自嘲的によく言っていた。


さすがに今では社会情勢も変わり、それで構わないと思っている人は減っているようだが、インドネシアに限らず、日本以外の国では時間の観念の違いを痛感することが少なくない。


乗り物の時間も然り。

日本の秒刻みの列車ダイヤは驚異的だ。

でも、毎日乗っていると、それが驚異的なことであることを忘れてしまう。

時間通りに来るのが、当たり前になってしまっている。


最近の悲劇的な事故とともに航空会社と鉄道会社の問題が注目を浴びている。

もちろん、乗客の安全管理を最優先させていなかった会社の非は免れない。

でも、一方的に会社を非難することができない気持ちになる。

なぜ会社が時間通りの運行に、そこまで拘るのか?


我々は、飛行機や電車が遅れると、怒る。

安全が優先されているためなら仕方ない、と考えていただろうか。


昔、こんなことがあった。

海外旅行の飛行機が点検で遅れ、予定していた乗り継ぎができなくなった。

ただでさえ一晩のロスだった。

それなのに、最善の乗り継ぎ便は満席で乗れないと言われ、カウンターで猛烈に抗議した。

抗議の甲斐あり、最も早い乗り継ぎ便を確保できた。 外国便だった。

しかし、その便も点検で遅れ、結局、抗議して無理を言わない方が早かったのに、という結果になった。

これだから外国便は… と、もはや怒る気力さえなくなっていたが、腹立ちばかりが残り、その点検のおかげで安全な旅ができたなどとは微塵も実感しなかった。

我ながら浅はかな利用者の代表だ。


正確さを求める利用者の期待に応えようと、会社が無理をする。

無理は、利用者にとって実感できないため、無理の上に成り立つ状態が、利用者にとって「普通の状態」になる。

「普通の状態」を保つため、会社がもっと無理をする。

最悪の循環だ。


時間のことに限らない。

停電のところに書いたが、便利さについては全て同じではないだろうか。

安全や真の豊かさを手に入れる替わりに、便利さを手放す。

その心構えがあるか。

問われている気がする。




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