習慣の違い | ~人とコトバ~

習慣の違い

hana

 

 外国の人やものと関わっておもしろいことは、いろいろあるが、よく取り上げられるのは文化の違いだ。人は誰でも、自分の常識は世界の常識だと思いがち。そうではないと気づかされる出来事を、カルチャーショックと呼ぶ。そういう出来事に出会わない限り、自分の常識は世界の常識であり、そう思い込んでいることには何の罪もない。問題は、その手の出来事に出会ったとき、どうするか、である。

 

「あ、これは自分と違う!」

 

その違いを違いとして冷静に受け止め、尊重する。これが異文化理解、と言っていいのではないだろうか。尊重するというのは、無条件に受け入れたり、相手に合わせたりすることではない。それを取り違えると無理が生じて、ストレスになり、結局「理解・尊重」どころか、相手の人や国が大嫌いになってしまったりする。

 

例えば、よく挙げられる食文化。日本人は箸を使う。インドネシア人は右手にスプーン、左手にフォーク。または、右手の指のみ。

 

「えー!手で食べるなんてキタナーイ」

 

などと言わずに、おもしろいからやってみる。すると、道具を使うよりもよほど難しい。彼らは、ごはんとおかずを上手く混ぜてパッと口に入れるが、そんなに簡単にまとまらない。かたまりを口に入れる前に崩壊して、ポロポロ、ポロポロ。 「キタナーイ」と笑われてしまうこと間違いなし。

 

おもしろがってできるのは数回。相手がこうして食べるのだから、と、辛いのに無理していたら、そのうち「こんな食べ方しかしない人たちなんかキライだ」などという気持ちにエスカレートしないとも限らない。もちろん、慣れてその方がおいしいと感じられるようになれば、そんな幸せなことはないが。

 

彼らも、自分たちの習慣を強要したりはしない。でも、相手の習慣をお互いが知り、「へえ、こうするんだ」と認めること、それが大切だ。欧米人に箸を使わせてニヤニヤおもしろがるのは止めよう。

 

違いを認め、冷静に受け止める…とはいうものの、感情的に難しいことも多い。

昨日の新聞に出ていた記事。ブラジル在住の記者が書いたものだ。

 

「ブラジルに住んで、未だに慣れないこと。それは、かかってきた電話をとると、「あなたはだれ?」と聞かれること」

 

私も、インドネシアでまったく同じ経験をした。いつも腹が立って、「あなたこそだれですか」と聞き返していた。でも、この記者は偉い。

 

「これには何か理由があるはずだと思って調べたら、昔は回線状態が悪く、別の相手につながってしまうことが多かったから、こういう習慣になってしまったそうだ」

 

とある。それは知らなかった。たぶん、インドネシアも同じだろう。理由があるはず、などとは考えもせずに、失礼な習慣だと断定していた私は異文化理解が足りなかった。でも、記者は続ける。

 

「理由がわかっても、やはり腹が立つので、「そういうときは自分から名乗るものですよ」と静かに話している」と。

 

尊重は難しい。もっとも、敢えて尊重する必要のない習慣だとは思うが。