表現の違い
習慣の違いの続き。
習慣とともに、ことばの使い方や表現にも、何となく違和感を感じることがある。
今は使う機会もなく、すっかりさびついてしまったインドネシア語。(と言っても、もともとそんなに上手かったわけではないので誤解なきよう。日常生活で用が足りていた程度。)
意味はわかるのだが、何だかおかしいといつも思っていた表現がある。
① 「このペン、貸してくれる?」
「いいよ (Boleh)」
これは問題ない。ではこれは?
② 「バス停まで一緒に行ってあげようか」
「いいよ (Boleh)」
もちろん、この「いいよ」は遠慮して断るときの「いいよ」ではなく、①と同じ「どうぞ」という意味のものだ。
自分から許可を求めるのではなく、親切心から相手に何かを申し出たとき、「そうしてもいいよ」と言われるとムッとする。しかし、インドネシアの人がこの言い方をするのを、よく聞いた。「この言い方」というより、「いいよ」という表現を①の場面でも②の場面でも同じように使える、ということだ。なぜだろうか。
後年、何語だったか忘れてしまったが、アジアの他の言語でもこのような使い方をするものがあることに気づいた。不思議で仕方がない。でも、私の浅い知識内でのことなので、捉え方が間違っているのかもしれない。どなたか「真相」をご存じだったら教えてほしい。
もうひとつ。
学生の頃に向こうに遊びに行って、学生仲間と何日かぶらぶらした。
会うたびに聞かれる。
「どこから来たの?(Dari mana?)」
「日本から (Dari Jepang)」
ところが、前の日に会った子がまた同じことを聞く。
「????! 日本から」
おかしいなあ、とは思いながら、仕方ないからまた同じように答えた。
でも、その子は友達と顔を見合わせて笑っている。
どうも、「どこから来たの?」というのは、日本で言えば、「あら、今日はどちらへ?」に近い、ただの挨拶なのだ。これも、確認していないので、どなたかご存じだったら確実なところを教えてほしい。でも、もし私の理解が合っていれば、表現とは何とおもしろいこと!