インドネシア | ~人とコトバ~

インドネシア

 90年代始めまで5年ほどインドネシアに住んでいた。後半は首都ジャカルタに移動したが、始めの2年近く住んだ北スマトラのメダンという街での生活は実に印象深かった。

 日本に来る留学生や研修生の気持ちを知るには、自分が外国で生活した経験が不可欠だと思う。特に、現地のことばに自信がない場合、とても心細い。私は語学が好きで、専門でもあったが、インドネシア語は渡航前に初級をやっとマスターしたレベル。

 それでも、日本ではインドネシア人の先生に習っていて簡単な会話はできるようになっていたので、何とか通じるだろうと高を括っていた。

 しかし… 甘かった!

 家には運転手と夜警、ふたりのお手伝いさんがいたが、言っていることが全然わからない。こちらの言うこともわかってもらえているのかどうか掴めない。生来のいい加減さで、ま、そのうち何とかなるさ、と。

 ことばを鍛えた場所は「青空市場」

メダンはインドネシア第3の都市だが、当時は実にのどかなところだった。商店の並んだ通りを抜けると、もう何もない。スーパーマーケットもなかった。買い物は全て市場だ。始めはお手伝いさんについてきてもらって、買い方を見た。野菜、肉、豆腐、魚。種類毎に文字通りお店を開いている。ほとんどが小さなパラソルの下だ。
値札などない。

「トマトいくら?」

「1キロ700ルピア」

「高いわねえ。600ルピアでどう?」

「だめだめ。650ルピアなら」

「OK」

簡単に言うとこんな感じだが、実は簡単じゃない。数字が大きいからだ。トマトはまだいい。エビや肉など、4桁以上になると、数字の聴き取りの難しさは半端じゃない。書いてもらえば簡単だが、悔しい。わからないと思われれば足下見られる。毎日修行をして、とても力がついた。

たいていの日本人はこういうことにあまり楽しさを感じないらしく、諦めて買い物をお手伝いさんにお任せする。もったいないことだ。

日本ではいつもスーパーで買い物をしていた私は、始め思った。どうせ決まった値段で落ち着くなら、どうしてこんなに面倒な会話をするのだろう、と。しかし慣れてきてわかった。これは一種の挨拶なのだ。見ればわかるのに「今日は良い天気ですね」と日本人が挨拶するのと同じだ。もちろん、売り手は少しでも儲けを多くしようと思っているだろう。しかし、買い手が始めから3分の1に値切ったり、売り手が1文も妥協しなかったりしたら、人間関係は断絶して終わる。

後年ジャカルタに移り、買い物がスーパーになってしまった時の妙な寂しさは今も忘れられない。もうひとつの後遺症は、日本に戻ってきたとき、あらゆるものが異常に高く感じられてしまうことだ。トマトの前でしばし立ちすくみ、ルピアに換算する。「このトマト1コで向こうなら何十コ買える…」などと考えても仕方のないことを考えて、結局買えずに店を出てしまう。物価の安い国に住んだことのある人は皆経験していることだろう。

教えている留学生に、「外でどんどん日本語を使ってみましょうね」などと気軽に言うが、実は日常生活には話す場があまりない。値札があるのに「いくらですか」と聞く人はいないし、コンビニでは値切れないことなど誰でもわかる。普段、意識することはなくなっているが、一言も喋らなくても1日用が足りてしまう社会。何か寂しい。