こどものインドネシア語習得
当時、生まれて3ヶ月の長男~モニェ~をジャカルタに連れて行き、2歳3ヶ月まで過ごした。
家には、運転手と夜警、お手伝いさんとベビーシッターがいた。
こう言うと、普通の日本人は、すごく豪勢な生活だと思うだろう。
しかし、日本人は家の中で人を使うことに慣れていない。
いろいろと気苦労があり、結局、全員辞めさせてしまう日本人もいる。
気苦労はありながらも、家の中で現地のことばが使えるというのは、語学の上達にはもってこいの環境だ。おもしろかった。
インドネシアの人はこども好きだ。ベビーシッターなどという名前がついていなくても、皆、小さいこどもの面倒をよく見てくれる。ものぐさな私は、これ幸いと、めいっぱいその恩恵にあずかった。
当然、長い時間をいっしょに過ごす人のことばを、こどもは先に覚える。
こどもが喋り始めたとき、出てくることばはインドネシア語の方が多かった…。
1歳になる頃、わたしがモニェを置いて出かけようとすると、お手伝いさんの腕の中で言う:
「モニェも行く!」
うわあ、しゃべった!
はじめから単語でなく、文でしゃべるなんてスゴイ!
しかし、あとからわかった。 これは日本語ではなかったのだ。
Monye mau ikut
mau は 「~も」、 ikut は 「ついていく」 という意味だが、発音は「~も行く」とそっくり。
笑ってしまった。
その他にも、優しく話し好きの4人から、浴びるようにインドネシア語を聞き、モニェはどんどんことばを覚えた。
わーい、うちの子、バイリンガルだ。
2歳過ぎで帰国したとき、日常必要な会話は、日本語・インドネシア語、どちらでも用が足りるようになっていた。帰国後、実験を兼ね、毎日インドネシア語で話しかけてみたが、モニェからはだんだん出なくなり、とうとう全く話せなくなった。
その間、たったの2週間であった。