ことばと国籍 | ~人とコトバ~

ことばと国籍

ことばには国籍があるだろうか。

 

   日本語ー日本ー日本人

 

   タイ語ータイータイ人

 

   タガログ語ーフィリピンーフィリピン人

 

この辺りはたぶん問題ない。 しかし…

 

  英語ーイギリスーイギリス人?

 

  中国語ー中国ー中国人?

 

異議あり! と言いたくなる人が多いはずだ。

 

英語を勉強している人は多いが、ことばのバックグラウンドとなる文化を知りたい、とすると、どこの文化を考えるのだろうか。 もちろん、言語の歴史を勉強するのであればイギリスであるが、「現在英語が使われている国」を挙げたらいくつになるのか。 アメリカ、シンガポール、オーストラリア、インド…。 植民地化の歴史と切っても切れない関係ではあるが、今現在、それらの国では自分たちの公用語が英語であることをどちらかというと得意に思っている人が多いように感じる。 (もちろん、どの国にも先住民族や少数民族の問題があることを忘れてはいけない。)

 

日本語を勉強する人は、日本という国や日本の文化についても知りたいと思うし、勉強する必要がある。 では、英語はどうだろうか。 「英語」と聞いて、どの国や地域を思い浮かべるか。 

 

これは人によって違うと思うが、日本では、まずアメリカ、次にイギリスを挙げる人が多いのではないだろうか。 アングロサクソン人を見れば、まず英語で話しかけることに何の躊躇もしない。 イタリア人だろうか、ロシア人だろうか、フィンランド人だろうか、英語が通じるだろうか、と躊躇うことなく。

 

英語コンプレックスの一部なのか、アジア人に対しても、どこでも英語が通じると思っている人が多い。 私が「主にアジアの外国人に日本語を教えている」と言うと、即座に「すご~い。英語ペラペラなんだね」と未だに言われる。

 

当然のことながら、英語がわからない人の方が多い。 ただ、共通語として使える可能性が一番高いことばを探すとすれば英語になるかな、という程度だ。 でも日本語のクラスの中では、英語は使わない。 媒介語を使わない、という意図もあるが、それ以前に、わからない・使えない人の方がずっと多く、不公平だからだ。

 

私が接してきた外国人は、欧米よりもアジアの人の方が圧倒的に多く、日本語を学んでいない人とは英語でコミュニケーションをとってきた。 だから、私にとっては、「英語」はイギリス・アメリカとはあまり結びつかない。 無国籍の便利語とでもいう印象だ。

 

 

中国語の威力はすごい。

 

私がいる留学生の日本語学校の国籍多様なクラスを見ると、例えばこんな感じ。

 

 タイ、中国、(香港)、インドネシア、マレーシア、台湾、フィリピン、ミャンマー、トルコ、韓国、ペルー、シンガポール…。

 

(香港は中国に戻ったが英国籍の人も多いし、考え方や文化などを見るとやはり地域として別に扱うことが妥当か。)

 

12カ国の12人。 お互い、他の国には行ったことがない。 しかし、授業が始まった初日から、12人のうちの6人はことばに障壁なくペラペラと楽しそうにお喋りを楽しんでいる…。  こんなことは珍しくない。 各国の中国系の人が、中国語で話すからだ。 他の6人は日本語も英語も話せなければボディランゲージしかないというのに。

 

「あなたの中国語は変だ!おかしい!」などとからかい合いながらも、意志の疎通には問題がない。 この恵まれた状況は、(やむなく頑張って日本語で話すという必要がないから)、残念なことに日本語の学習には極めてマイナスなのだが、彼らが中国語で自由に話すのを見るにつけ、中国語圏の大きさと威力を感じずにはいられない。

 

想像してみよう。 日本人であるあなたが、ある国に留学する。 同じクラスには、あなたが行ったことのないA国、B国、C国からも留学生が来ている。 皆、自分の国で日本語を使って生活している。 お互い知らない国に住んでいる人たちと日本語でスラスラ話ができる! ちょっと想像し難い。 南米に日系の人はいるが、中国語圏の広がりとは比べられない。

 

ことばの不思議を感じる一場面である。