語学の動機付け
ある言語に興味を持ち、力をつけていくためのきっかけや方法は何だろうか。
私の場合は、洋楽が流行った時代だったので、たまたまそこから入った。
もっと上の年代の人では、映画にのめり込み、そこから語学に興味を持ったという人も多い。文学少女・文学少年なら、原作が読みたくなってそこから入る人もいるだろう。たまたま外国人と知り合いになったら、その人とたくさん話したくて勉強しようと思うかもしれない。
私の場合は洋楽だったので、言語のリズムを感覚的に覚えるならそれが一番!と人に勧めたくなるが、アプローチは人それぞれ。 ある人にとっての動機や方法が、他の人にとってもいいとは言えない。
特に語学に興味が沸き、やってみようという強い意欲が出てくるきっかけは、向こうから勝手にやってくるものだ。きっかけを自分で作ることはできない。
日本中を席巻する韓流。書店には並べきれないほどの韓流スター雑誌とともに、韓国語入門の本が溢れている。 次から次へと売れていく。 すさまじい。 実際のところ、ドラマをきっかけにハングル語を勉強し始めた普通の人たち、それもかなり人生経験豊かな年代の人たちが、結構ペラペラと喋っているのがテレビに流れて感動する。
と、冷めた目で見ているように言ってしまったが、何を隠そう、私も始めの冬ソナ放送にどっぷりはまってしまい、暫く病気が続いていた。(^o^) その頃はまだ店頭に関連グッズが並ぶほどには流行っておらず、CDは通販で。 回りは放送を見ていない人がほとんどで、会う人会う人に、「絶対見なさい!!」と強要する広告塔だった。 もちろんハングル語にも強い興味が沸き、すぐにNHKのテキストを書店で定期購読注文。
ふと家の本棚を見ると、きれいな入門書が…。 どうやら買ったのは15年前。 旅行前にハングルが読めるように勉強した記憶はあるのだが、本を買ったことは覚えていない。 ページをめくった跡は、始めの文字の読み方と基本挨拶のところだけ。 目前の旅行を動機に、一生懸命、文字と挨拶を覚えたが、旅行が終わったらほったらかしになったという入門書の運命は明らか。 15年も本棚でひっそり眠っていた哀れな入門書…。 まさか、15年後にこんな韓国ブームが来て、そのおかげで埃を払われる日が来るとは、当の入門書様も想像だにしていなかったことだろう。
さて、ラジオ講座を始めたものの、忙しいので(!?)毎日は聞けない。 録音しておいて、まとめ聞き。 始めはおもしろいので、わからないのに応用編まで欲張って聞いてしまったりする。 しかし…、ドラマに取り憑かれているマイブームが下火になるにつれ、まとめ聞きも追いつかなくなり、ほどなく、本屋にテキストを取りに行く頃は、とっくにその月の放送が始まっている、という事態に…。 やはり週1回のテレビの方にしておけばよかったか。
「テキストをまとめてとっておけば、また時間ができたとき・気が向いたときに、いつでも始められるさ。」
かくして、再び10年以上埃をかぶりそうな本が増えることになった。
言いたいのは、私がどんなに根気がなく語学に向かない性格か、ということではない!
韓国の人は日本語がすぐ上手くなる。 文法構造が日本語とそっくりだという韓国語を私も勉強してみなくては…、と思っていてもちっとも手をつけるまでいかない。 しかし、ドラマに虜になってしまったり、歌や映画にのめり込んでしまったりしたときに沸いてくる学習意欲はすばらしいものだ。 語学に限らないが、勉強には如何に動機付けが大切かということを身をもって体験する。
(その意欲が長続きするかどうかが問題だけれど。)
やりなさいと外から言われたり、やらなければならないという環境だったりしても、ちっともやる気が起こらない。 留学生も同じだ。 近年は、「親がお金を出してくれたから」と言って留学して来る学生も珍しくなくなった。 どうしても日本語を勉強して進学したいとか、将来この分野で役立てたい、という具体的な動機がない学生は、やはり根気の要る勉強にはついていけない。 遅刻や欠席を注意しても、根本的な理由で、よくなるはずがない。
おまけ。 偉そうに学生をとやかく批評できる立場ではないが、言い訳を。
私のマイブームがどうして下火になってしまったかというと、あまりにも韓流が騒がれすぎてしまったためだ。 人と同じことをするのはキライなので、みんなと同じだと思うと途端に興味が薄れてしまう。 私が火をつけた回りの人たちが燃え始めた頃、自分は鎮火しているとはひどい話かもしれない。 ゴメンナサイ。
しかし、こんなのは語学が続かない言い訳にはならないですね。 スミマセン。