停電とことば | ~人とコトバ~

停電とことば

               rosoku 

 

硬い話が続いてしまったので、軟らかい話を。

 

 

 

今日の話題は停電

 

日本では滅多に経験しない。

 

たまに、雷が近くに落ちるとバッと消えてしまうが、数秒、長くても1分以内に復旧する。

 

ほんの1分でも、電気があるのが当たり前になってしまった生活では、とても長く感じる。 

 

復旧してからも、いろいろな電気製品の時間合わせや設定の戻しにてんやわんや。

 

如何に電気に依存した生活かを思い知らされ、一瞬反省するが、翌日にはもう有り難さを忘れてしまっている。

 

 

電気状態の不安定な国では、停電は名物だ。

 

私がいた頃のインドネシアのメダンやジャカルタでも、しょっちゅう停電していた。

蝋燭は必需品。 真っ暗になっても、誰も慌てない。

 

ああ、まただ~。 お手伝いさんが、ゆっくりゆっくり蝋燭とマッチを出して来て、テーブルの上に立てる。

 

住み始めたばかりの日本人は、いつ復旧するともわからない停電に、耐えられない。

 

まっくら。 何もできない。 でも寝るには早すぎる。 

 

  いらいら…  いらいら…  いらいら…

 

マッタク。 しょっちゅうこんなことになっても何も感じない現地の人たちってどうなってるのかしら!?

 

というのが、正常な日本人の反応。

 

でも、半年も経つと、ちょっと見方が変わってきた。

 

お手伝いさん、運転手、夜警、みんなで家の前の通りに出て、そこに近所からもお馴染みのメンツが集まり、月明かりの下でのどかなおしゃべり。 とっても楽しそう。 何もないけど、すごく豊か。

 

そんな大勢でなくても、お手伝いさん2人が部屋で蝋燭を眺めながら何やら人生談義。 年上の方が恋愛相談にでものってあげているのか。

 

何にもせかされず、ゆっくりと時間を楽しむ。 そんなことができる彼らがどことなく羨ましく感じられてくる。

 

そう、電気が消えたら、消えても出来ることをすればよい。 テレビもラジオもパソコンもステレオもつかなければ、音も映像もない。 何にも邪魔されずに、純粋な会話ができる!

 

コトバは人間関係の中から生まれ、育つ。 

 

家庭の中で、テレビやパソコン、ゲームに主役を奪われ、会話が減って、その分、人間関係が希薄になった。

 

日本に停電を復活させたら、生活はどう変わるだろうか。 会話に主役の座が戻ってくるだろうか。