道具のデジタル化
留学生の日本語クラスの風景。
昔とは、かなり変わった。
何と言っても、デジタル化した持ち物。
その筆頭は、電子辞書だ。
英語の他、いろいろな語学を勉強するときに、一番イヤだったことは何だろうか。
私は辞書を引くのが大嫌いだった。 めんどくさい。
もちろん、昔は分厚い紙の辞書しかなかった。
こういう 「めんどくさがりや」 は語学に向かない、という意見もある。
私もそう思っていた。
今の授業風景はというと、学生は皆、個々に机の上に電子辞書。
電子辞書は実に便利だ。 今の辞書はジャンプ機能が充実しているので、例えば英和で調べた後に、その単語を広辞苑で調べることもボタンひとつ。
知らない単語が出てきたら、躊躇することなく気軽にパッと検索できる。
しかし、どうだろうか。
めんどくさがりやでも簡単に辞書が使えることは、語学を親しみやすいものに変えただろうか???
一概にそうとは言えない。
簡単に調べたものは簡単に忘れる。
次から次へと辞書で引いても、たぶん、次から次へと忘れる。
苦労なく調べれば、調べたという作業も記憶に残りにくい。
例えばひとつの新聞記事を読むとき、学生が知らない単語がたくさん含まれている。
それをひとつひとつ、片っ端から調べながら記事を読むことは誰でもできる。
しかし、それでは、きりがない。
いつもそれをやっていると、知らない単語にぶつかる度にそこで止まってしまい、調べないと進めないということになってしまう。
わからなくても適当に見当をつけて、先に進む。
これが大切な能力なのだ。
違っているかもしれない状態は不安でたまらない、という完璧主義の人は不利だ。
それを思うと、めんどくさがりの方が勘を働かせる力がついて、いい部分もあるのだ。
どんな単語も1,2秒でパッと手軽に調べられる電子辞書は、適当に見当をつける能力を退化させるかもしれない。
だから、学生には、辞書を持っていても使わせない時間を設けて授業をしている。
「道具は進化するが、それに頼ってばかりいると、頭が退化する。」
そんな、よく聞くことばの一例かもしれない。
でも、やはり電子辞書は限りなく便利で、ぽんぽんボタンをたたいているだけで、知識が増えていくような錯覚すら与えてくれる。