QUEEN & PAUL RODGERS
最後の書き込みをしてから忙しくなり、なんと、4ヶ月も何も記事を書かないまま過ぎてしまった。
何度もブログを覗いてくださっていた皆さんには申し訳ない限り。
書き始めると、何度も自分で読み直して推敲しないと気が済まないので、時間がかかって…。
という言い訳はさておき、今日の本題。
行って参りました。 QUEEN & PAUL RODGERS !!
ロジャーとブライアンに、ヴォーカルはポール・ロジャーズ。
まず、この組み合わせにいろいろな意見があるが、私個人としては、「新生クイーン」に期待しているわけではない。
(いや、そもそも、巷では「新生クイーン」と言われているけれど、本人達が名乗っているのを見れば、「クイーンとポールロジャース」なのであり、ヴォーカルを替えたわけではないのですよね。 )
私たちに素晴らしい音楽をくれた4人のうちの2人が今も音楽活動をしているのは嬉しいことだし、活躍している同じ1940年代生まれの多くのミュージシャン同様、いつまでも続けて欲しいと思う。 でも、いつまでもQUEENという名に拘り縛られることなく、自由に活動したらどうか、という気もする、というわけです。
ツアー初日の26日。 7時開演。 20分を過ぎて幕が上がった! と、ギターを抱えたブライアンが消えた?! 足下の布が引っ張られて転倒…。 すぐに立ち上がったけれど、幕開けからハラハラ。
細かいステージの様子は他のレポートに譲るとして、正直、すごく年を感じましたね。
ロジャーは目つきの鋭さに貫禄を感じたけれど、声が不安定で、ハモリが全然合っていない歌もあれば、「あら、いい声出るじゃないの」と感じる歌もあり。 ドラムは体力要りそうで、叩くたびにふうふう言っているような感じで、見ているとこっちまで疲れてくるような…。
ブライアンのギターは昔と同じ音がしていた。でも、アコースティックは、気のせいか弦が押さえきれていないように聞こえるところも…。
ステージ構成としては、やたらとソロが多いことに気づく。 始めの数曲はギンギンのロックが続いたが、このまま2時間も続けられるのだろうか、と不安になったのは私だけではないだろう。 しかし杞憂だった。 その後は順番にソロが続いた。 他のメンバーは裏でゆっくり休めるというわけだ。
そんな2人だったが、「20年ぶり」とブライアンが言ったとき、ああ、その20年前のステージを私は見たんだ、と実感して、じ~ん。
そう、81年の武道館ライブは知り合いに取ってもらったチケットが、何と一番前のど真ん中。
フレディの撒いたコップの水がかかったのだ! あの感動と興奮は忘れられない。
しかし、良い席かというと、そうは言えない。 ステージは高さがある。 その高いステージに近すぎて、
後方のドラムは全然見えなかったのだ。
そして85年の代々木。 この頃は曲調の変わったことにかなり興味が冷めており、全然聴いていなかった。
ところが、たまたまライブ当日に会場の前を通ってしまったのだ。 来日していることなど全然知らなかったのだが、この偶然。 後から思うと、運命の赤い糸を感じずにはいられない。
しかし、余裕で当日券が買えてしまったのだから、このころ人気が下降していたことは明白。
ライブの話に戻ろう。
Bohemian Rhapsody は、あたかもフレディがステージにいるような映像で始まり、泣かせた。
会場全ての人が、心の中にある同じものを想い、今もその彼の姿と声と音楽そのものを元気の素として存在している。そんな気がした。
懐古趣味とは違う。 かつて存在した天才的な人、グループ。 生み出した素晴らしい曲。 それを共通に心の中に持っている人が、こんなにいるんだ、という事実に感動できた。 行って良かった。
ところで、演奏する側も年なら、見に来ている方もそれなりに平均年齢が高い。 始まるなり総立ちになったものの、静かな曲に変わるとヤレヤレとばかりに腰を下ろす人も多かった(笑)。
大枚はたいて連れて行った小学校高学年の息子は、親の洗脳の甲斐あり、結構QUEENの曲を知っている。しかし、望遠鏡で好きなロジャーを覗いた彼は、「もうおじいさんだね…」 たしかに。
初めてライブというものを見た彼は、始まった途端に立ち上がってノリノリになる、おじさん・おばさんたちに圧倒されてしまった。 どうしたらいいかわからなくなった彼は「オレ座ってよー」と。
おまけに、視界に入る隣の2人は英語話者のカップル。 ライブの最中にも膝に乗っかったり、撫で撫でし合ったり。およそ大和民族には真似の出来ないいちゃつき方で、 彼はますますどこを見たらいいのかわからなくなった。
座ってそっぽを向いているうちに、大音響が子守歌になってしまったようだ。 始まって20分もしないうちに、ふと見ると、…爆睡…。
巨大なミラーボールがアリーナ中に星をまき散らしたり、レーザーが飛び交ったり、彼の好きな曲が流れたりするたびにパシパシとほっぺを叩いたが、効果無し。
私の右隣には、中学生くらいの男の子が、これまたお母さんに連れられて来ており、幕が上がる前からお母さんはメンバーについての蘊蓄を聞かせていた。しかし、この子はステージの演出ごとに「すごい、すごい」を連発。 歌もかなり歌っていた。 それに比べて左の我が子は…
無理矢理立たせて腕をとり、歌に合わせて振らせたのは既に定番のエンディングだった。
会場を出るとき、カップルの男性の方が息子の方を見て、ジェスチャー混じりに
「ネムイネー」
「だって、目のやり場に困っちゃったからじゃないか!」 と言いたかったが言えない本人は苦笑い。
「ひとりで来るよりいいから気にしないわ」 と母が英語で返す。
カップルはちょっとびっくり。 駅までお喋りしながら歩いた。
オーストラリアンだった。
"Are you a Queen Fan?" と彼。
”オーモチロン! だからこうして英語が少しでも話せるようになったのよ! ”
”ボクはイギリスでブライアンがフレディのお母さんと一緒にいるところに出会った。
握手をしてもらった。手が震えた。” と震える手を嬉しそうに再現してくれる。
”ワーオ、それはすごいね。 私はフレディがいる頃のライブを2回も東京で見たのよ”
”わー、いいなあ…” (若い彼は生きている頃のフレディを知らないだろう。)
こんな感じで、すっかり盛り上がってしまった。
音楽は国境と世代を越えて、人をつなぐ。
(最後に。熟睡してしまった彼を知っている人は、決して本人の前でこの話をしないでください。親子関係が断絶します。 また、ライブには、本人が行きたいと言ったので連れて行ったこと、申し添えます!)