韓国おもしろ旅5
これはチュンチョンの目抜き通りのマックの中。
クリスマスツリーの前にある。
昼前だったが、だーれもいなかった。
こういう世界中どこにでもある店に入ってみるのもおもしろいものだ。
同じだけど違う。 値段、素材、大きさなど。
特に、同じメニューがいくらくらいかを見ると、物価がわかっておもしろい。
日本で500円のものが、韓国では350円くらいだった。
中身が日本より豪華な気がした。
ファーストフードに限らないが、庶民的な値段で食べられるものを比べてみると、日本の外食は材料の種類や量などが他の国のものより貧弱な気がしてならない。
レジのお姉さんは、私たちが韓国人でないとわかると、すぐに流暢な英語で聞いてきた。
ちょっとびっくりしたが、チュンチョンは米軍基地があって関係者がたくさん住んでいる、と後でわかった。
早起きして出てきて結構動き回ったので、1時間くらいのんびりと休んだ。
店員の若い男の子は、暇を持てあまし、ず~っと同じテーブルをごしごし磨いている。
ぶらさがっている表示や、トレイに敷いてある紙を読んでみる。
ハングル文字は、ローマ字と同じように、読み方を覚えれば誰でも読める。
単語を知らなくても、ハンバーガーの種類や外来語など見当のつくものもあっておもしろい。
街の中でもそうだ。 自力で動き回るには地下鉄の駅名など、最低限、文字が読めないと困る。
読むのは楽しいが、街の中の表示を一生懸命読んでみると 「ソニ○」だったり、「ト○シバ」だったり、 「ヤクル○」だったり…。
やっぱり、単語の意味も知らないと、所詮わかるのは元から知っていることばだけ、ということになってしまう。
コンビニもおもしろい。 置いてあるものは、地元の人が最もよく消費する日常の品物に限られているだけに、一目で日常の必需品が窺える。
おにぎりを見つけたときは感動した。 韓国海苔だった。 日本と同じようにもともと三角なのか、気になるところだ。
スーパーマーケットもいい。 外国へ行ったら、見に行く観光地をひとつ減らして、半日はスーパー探訪に当てよう。その方がずっと発見が多いし、その土地の人々の暮らしがよくわかって楽しい。
話を元に戻そう。
たっぷり休んだ後、市外バスターミナルへ。
韓国は高速バス網が発達している。 ガイドのお姉さんは、1日1本などと言っていたが、列車は1時間おき、バスは30分おきに出ているのだ。 (これは1年前のことなので、今はもっと本数が多いかも知れない。特急も我々が行った翌日に開通した。)
ここから、30分ほどソウル寄りのガッピョンという町へ行き、ナミソムという島を訪れる。
バスは、鉄道よりも行き先が多いし、当たり前だが線路のないところをどこでも走るわけで、乗るのにちょっと勇気が要る。 でも、いろいろなものに乗ってみたかったので、敢えてバスを選んだ。
さて、ターミナルに入ると、こどもたちは、朝の「遊○王カード」に味をしめ、さっさと待合室の奥にある店の方へ行ってしまった。
私は窓口でバスの切符を買うのに一苦労。大人1枚、こども2枚というのがなかなか通じない。
おとな、こども、という単語がわからないので、手で背の高さを示して1枚、2枚と指で数を示す。
相手は、結局1枚なのか2枚なのかわからないようで、窓口の向こうで係の女性3人の大論争が始まってしまった。 2分ほどで結論が出て、切符が無事手に入った。 ホッ。
しかし、乗ってからよく見たら、切符は2名分しかなかった。 車内で切符を集めに来た人に身振り手振りで話すと、自分はお金を受け取れないので、降りてから払ってくれと言われる。 (我ながら、よく身振り手振りだけでこれだけの意志疎通ができるものだ。 感動…)
バスが走り出す。 本当に行きたいところへ行ってくれるだろうか。 ちょっと心配。
続く
韓国おもしろ旅4
さて、これを見れば、無事チュンチョンに着いたことはおわかりだろう。
どうやって回ったかをお話ししよう。
…2時間後、チュンチョン (春川) の駅に到着した。
ここは、ソウルから遊びに来る人たちも多いらしい。
カップルや家族連れもパラパラと列車を降りたが、すごい人出というほどでもない。
こどもが線路に降りたりして遊んだ後、のんびりと外に出ると、ぽつんとタクシーが1台止まっていた。
やっと人が来たと言わんばかりに運転手氏が近づいてきて、「キョウルヨンガ(冬のソナタ)?」と聞いてくる。
これは1年前のことなので、列車で来てタクシーと交渉する日本人はそんなに多くなかったと思う。
運転手氏は全て韓国語で、市内のロケ地回りを通常3万ウォンのところ2万ウォンでいい、と熱心に勧誘。
(数字は記録しなかったので、ちょっと違うかも知れない。)
自分がよくわからない言語で話しかけられるのをすごく怖くて不安に感じる人も多いようだが、私は全然そんなことはない。 むしろ、こちらがわからないのに、一生懸命話してくれて悪いなあ、と、ちょっと嬉しくなってしまう。
駅前の写真がないのが残念だが、あのチュンチョンなのだから観光案内でもあるのかと思いきや、駅前はかなり鄙びた趣で、意外と何もない。 壁に市内の大きな地図パネルがあったので、それを眺めながら、運転手氏の熱心な誘いを気がなさそうに聞く。
本当は、市バスと歩きでぶらぶらとスポットを回ろうと思っていたので、カタコトの韓国語で「ここからここまで何分くらい?」 などと聞いてみる。
運転手氏は、「歩くなんて絶対無理だ。日が暮れる。」 というようなことを言う。
今日は、このあとナミソムにも向かうので、日が暮れては困る。 地図を見ても、確かに歩くのは無理のようだ。やりとりで運転手氏と人間関係を確立した後、乗ることに決めた。
ひとつめのスポット。 わかる人はわかる。
だれもいない。 ロケ地だということより、純粋に景色がきれいで感動した。
川が青い。 とても大きな川なのだが、ほとんど流れが感じられない。
遠くの山々が、なだらかだ。 大陸だ。 日本じゃない。
そう思った。
タクシーは、この後、ふたりが乗り越えた塀へ。
運転手氏は、息子を塀に上げてくれ、シャッターまで押してくれる。
下の息子はドラマをみていないので、わざわざこんなところまで列車で来て何のためにただの塀に登って写真まで撮るのかわからない… はずなのに、しっかりピースをしている。
船着き場では、さびれたガラスケースにキーホルダーやポラリスのストラップが一応並んでいたが、店には誰もいない。 値段も書いていない。
運転手氏がわざわざ歩き回って店の人を探してきてくれる。 値段を聞くと、土産物とは思えないほど安い。 (因みに、後日日本で見たら4倍の値段だった。 もしかしたら、この主人、間違えたのか、或いは適当につけたのかもしれない。 どこにも書いてなかったのだ。)
これは買いだ。 友人へのお土産として3つ。 店主は面倒そうに箱を開けて売ってくれた。
何とも商売気がない。 その後、訪れる日本人はドッと増えただろうから、店も立派に衣替えしたのではないだろうか。
場所を聞いたり、値段をきいたり。 旅で必要な表現の代表だ。
自分が必要な情報を得るために、外国語で質問する。 答えが返ってくる。 答えがわかる。
楽しい。 こんなにやる気の出る実践は、教室の中ではあり得ない。
多少の失敗でくじけてはいけない。 勇気をもって話しかけても、こちらが外国人だということで向こうが引いてしまったり、まともに答えてもらえなかったりすることもある。 それはそれで仕方ない。 気にしないことだ。
日本にいる外国人も同じ気持ち。 我々が話しかけられてギョッとし、反射的に「わかりません」なんて手を振って拒んでしまうことは、想像以上に相手を傷つけることがある。 外国人であるというだけで嫌われているように感じてしまうかもしれない。
ともあれ、ラッキーな買い物をし、チュンチョンのスポット巡りはクリスマスツリーの通りで終了。 ここでタクシーとさよならした。
韓国おもしろ旅3
思いつきで書き始めた旅ネタだが、何だかいろいろな方に期待されてしまっているようで、かなりプレッシャーを感じている!
このブログは「ことば」や「異文化」がテーマなので、そこにこじつけて書けることを探していきたい…。
さて、無事に列車に乗り込んだ。 200円だが、指定席。 (?料金は関係ない?)
席を探して歩いていくと、 あら? 他のグループが座っている。
どうしよう…。 何度も番号を確認したが、確かに他の人が座っている。
でも、他の座席が割と空いていたので、あまり迷わず、近くの座席に座ることにした。
7人くらいの中年のグループで、ハイキングにでも行くらしい。
皆で話ができるように本来の指定でないところに座ったようだ。
別にこちらは構わない。
ところが、走り始めると、近くの駅から結構乗ってくる。
案の定、我々のところにカップルが来て、「座席が違う。ここは自分たちの席だ。」と言ってきた(と思う)。
ことばなどわからなくても、切符と座席を指さされれば、内容はひとつ。
「でも、私たちの座席には、他の方が座っているんです」 と言いたかったが、そんな高度な文はとても話せない。
なにせ、初級のテキストのせいぜい3課分くらいをかじってきただけなのだ。
こちらも、切符を見せて、本来の座席を指さし、「これ、あそこ、これ、あそこ」を繰り返し、後は、とにかく困ったような顔を作る。
カップルは、つかつかとグループのところへ行くと、非情にも席を空けさせてしまった。
グループのおしゃべりを聞きながら、車窓を眺める。
もう、街を出て、里山の風景。 日本と似ている。 でも、遠くの山の感じは、ちょっと違う。
ある駅に止まった。 ふと横を見ると…
何と、戦車だ。 貨物の台車の上に載っている。
ここは、日本じゃない。
山や里の風景やハングル文字よりも、それを印象づけてくれたものは、戦車だった。
韓国おもしろ旅2
こどもが駅待合室の店で見つけたのは、これ。
小学生らが集めて対戦するのに使っているカード。
絵は全く同じで、文字だけがもちろんハングル。
一生懸命読んでみると、
ケ・・・ン・・・タ・・・ウ・・・ロ・・・ス
「 すげえ、同じだ~ 」 と、こども。
「 読めた! かんげき~」 と、 私。
「これ、友達のお土産にする」 と 2パック目を買ってきたが、中身が気になって結局開けてしまう。
「な~んだ。 レアカードじゃなかった。 お土産にしなくてよかった。 もう1コ買ってこよう。 」
これを繰り返すこと、7回。 お店のおばさんは、なぜ日本人のこどもがこんなところで次から次へとカードを買っていくのか、不思議だったに違いない。
気まま旅は、こんな何気ないことが楽しい。
立派なお土産屋にはキムチや海苔がずらり揃っているが、韓国語版ゆう○おうカードは置いてない。
買い物するために、こどもも勇気を出して覚えてきた韓国語を使ってみる。
「 イゴジュセヨ (これ、ください) 」
これだけでも通じた喜びは大きい。
さて、そんなことをやっているうちに列車が来て、無事に乗り込む。
韓国おもしろ旅
わかる人はわかる、この景色。
今日は韓国無謀旅行記。
1年前にドラマにはまったことは、紹介済み。
生来、行動が無計画。 そのときも、
何かおもしろいことしてみたい…、
あ、韓国へ行ってみたらどうだろうか、
と突然思い立ち、3日後のチケットとホテルのみを予約。
3泊で、29,800円。
春休みのこどもたちにも、「個人旅の楽しみ」を教えてやろう。
ネットに出ていた「冬ソナツアー」の行程や、行った人のネット旅行記を検索、下調べ。
あとは、行ってから調べれば何とかなるだろう。
日本に最も近いところで異文化を感じるには、韓国。
空港から一歩街へ出ると、ハングルだらけだ。
漢字もアルファベットもほとんどないのは、強烈にインパクトがある。
着いてから、迎えに来てくれた旅行者のガイドさんに、
「滞在中に何をしたいですか」、と聞かれた。
一緒だった他の2グループは、躊躇せず答える。
「買い物とエステ」。
ガイドさんが嬉しそうに、それなら午前にここ、午後はここがいい、とアドバイス。
duniaさんは?と振られたので、正直に
「列車かバスで春川(チュンチョン)とナミソムを見に行きたい」と行ったら、
ガイドさんの目が… (;゚-゚)
「!!!!! 個人で行くなんて絶対無理です。
ソウルと違って、すごい田舎だから電車なんか1日に1本くらい。
やめた方がいいです。」
と、強硬に反対される。
無理だなどと言われ、余計に 「何が何でも行ってやる!」 と決意新たに。
その後ガイドさんは先輩ガイドさんから聞いてきて、
「1日1万円のロケ地ツアーがあるから、それに参加すればよい」、とご丁寧な進言。
それでは個人旅ではなくなってしまうし、3人で3万円!
モッタイナイ
でも、そのガイドさんは本当に個人でそんなところへ行くなど、とんでもない、と思ったようだ。
どんなお嬢さんなのだろう…。
ソウルには、観光客にとってすばらしいシステムがある。
ある番号に電話をかけると、希望言語で何でも質問でき、何でも調べてくれるのだ。
丁寧に列車と高速バスの便を調べて時間や始発駅を教えてくれる。
ホテルで聞いてもラチが開かなかったが、本になった時刻表というものがないようだった。
2日目は市内観光と、計画実行の下調べ。
3日目は準備万端。 早起きして、いよいよ出発。
列車の始発駅に着いた。 切符売り場窓口の上のパネルにずら~っと並んだ駅名を端から探して、料金を確認。 ? 何だかおかしい。 とりあえず、カタコトの韓国語で切符を買う。 行き先がなかなか伝わらず、ちょっと緊張。
切符が買えた。
チュンチョンまでは2時間だが、料金が何と200円くらい。
あまりにも安いので、間違っているのかと疑ってしまった。
列車が来るまで30分。
駅の待合室をこどもとウロウロする。
わあ、おもしろいもの発見!
続く…
ひとつしかない地球
ラボ・パーティーの出身者のひとり、宮沢和史さん。
The Boom のボーカル。
その宮沢氏がラボパーティーのこどもたち向けに作ってくれた曲が、「ひとつしかない地球」。
誰がきいてもじ~んとくる、すばらしい歌詞とメロディ。
いろんなことがあるけど、違いを乗り越えて世界のみんな仲良くしようよ、というストレートなメッセージ。
アースデーコンサート のページ、真ん中にこの歌のプロモーションムービーがあるので、是非聴いてみてほしい。
ラボ・パーティー
今日は、私が知っている ラボ・パーティー を紹介したい。
パーティーと言っても、飲んだり食べたりの宴の方ではなく、登山パーティーなどと使われる、「集団」の意味。
簡単にいうと、0歳から大学生が会員になっている言語教育組織。
と言っても、いわゆる 「英語教室」 とはだいぶイメージが違う。
とても全ては説明できないので、活動内容はホームページに譲るとして、その特徴を書いてみると…
キャッチフレーズは、「ことばがこどもの未来をつくる」。
英語を中心とした外国語を母語と近い形で習得させようとする。
外国語ができるには、母語である日本語がしっかりしていないといけないと考える。
ことばは、人との関わりの中で育つ。そのため、多様な交流プログラムを準備。
残念ながら、ラボ・パーティーは、あまり知名度が高くない。
誰でも知っている大手の英語教室ほど、宣伝費をかけていないので、会員はほとんど口コミ。
しかし、その歴史は来年で何と40年。
ラボパーティー出身者は、宇宙飛行士になった人や、著名な音楽グループのボーカル、女優、政治家、など、非常に幅広い世界で活躍している。
個性とリーダーシップ。
世間では今ごろ教育問題で焦点に上がってきたポイントを、ラボパーティーは40年も前から考え、育ててきた。 ちょっとスゴイと思う。
?? 英語教室みたいだけど、個性とリーダーシップ??
なかなか説明がむずかしい。
しかし、「何だ、こどもの英語教室のことなんて興味な~い」という人も、「へええ、世の中にこんなものがあるのか…」 と、きっと感じると思うので、ちょっとサイトをのぞいてみてほしい。
右脳と語学
TBステーションのお題、「右脳開発」に絡めて、語学を考えてみたい。
右脳と左脳の仕事。 語学はどちらを使うのかと問えば、「言語は左脳に決まってるでしょ」 と言われそうだ。
でも、ちょっと待て。 文法積み上げ式の英語学習を中高と6年以上勉強していても、しゃべれない、わからない、語学はきらい、と思っている日本人は一体どのくらいいるだろう?
左脳がよく働く人、コツコツ理論的に考えて勉強する人でも、語学が使えない人はたくさんいる。
語学と性格 のところでも書いてみたけれど、使えるようにするには、右脳を磨くことが必要だと思う。
すごく真面目でコツコツと涙ぐましい努力をしても、なかなか上達しないタイプの人は、間違いなく勘が悪い。
これは、日本語学習者をたくさん見てきて、確信していること。
翻訳などを職業にする人は別として、コミュニケーション目的に外国語を使わざるを得ないとき、勘は重要。
単語や文法知識に基づいた能力と、勘と、必要な比重はどのくらいだろう。
場合によっては、半々か。 ほとんど勘だけでコミュニケーションの窮地を脱することができることもあるかも。
外国語で何か質問される。 勘のいい人、想像力のある人は、文の意味がよくわからなくても結構適切に答えられる。 なんとなくわかるのだ。
反対に、勘の悪い人、想像力のない人は、「この単語の意味は何だろう?」 「何と言っているんだろう?」 と、限りなく考え込み、答えようにも答えられない。
ひらめき。 インスピレーション。 直感。 想像力。
残念ながら、語学クラスの中に入ってからでは、この右脳分野の開発は難しい。 だから、自分で意識して磨こう。
道具のデジタル化2
来日して日本語を勉強し、その後、研修や進学をする人たち。
およそ15年前は、みんな日本に来るとコンパクトカメラを買いたがった。
今はどうだろう。
デジカメ、パソコン、MP3プレイヤー、ビデオカメラ…。 日本へ来たときに、既にかなり最新式のを持っていて、日本で買いたいというものは、私も持っていないものが多かったりする。
何年前だったか、 「一緒に写真を撮りましょう」 と言われたとき、カメラにリモコンがついているのを見て私がびっくりしてしまった。 ええっ! イマドキのカメラはリモコンなどついているのか…。 彼は、私がびっくりしたことにびっくりしていた。
そもそも、学校というのはかなりアナログな所なので、そこで教える者のデジタル化は世間よりかなりのんびりしている。
若い留学生の場合は、メールやパソコンは使えて当たり前の生活をしている人が多い。
授業で行うワークの発表など、彼らは「普通」のことをしているだけなのに、きれいなプレゼンに教師の方が感動してしまうことも。
でも、そんなことに激しく感動すると、「ああ、パソコンを使って発表すると成績が上がる」 などという誤解を与えかねないので要注意だと個人的に思う。
教室内でよく使われる道具も、これからどうなるのか、ちょっと心配だ。
代表はテープデッキとビデオデッキ。
カセットテープの方は、もはや世間一般では化石化しつつある。 世の中は、CD, MD、 MP3プレイヤー。
生教材を使うときに、学生に録音のためカセットテープを持ってくるようになどと注文を出すと、「プレイヤーを持っていない」 と言われる。 当然だ。
一昔前なら、「音楽も聴けるから買ってください」と言えたが、今、そんなもので音楽を聴く学生は、たぶんいない。
でも、カセットは語学の練習にとって捨てがたい魅力もある。 一部分を戻すとき。 指でボタンを押した分だけピュルピュルと戻るので、結構、感覚的にぴたりと戻したいところまで戻せる。 ピュルピュルパッと一発で頭出しができたときの充実感・満足感は、説明しがたい。
これがCDやMDの戻しだと、どうもピタリといかない。
ビデオデッキも、どんどんDVDやハードディスクに取って代わられている。
10年後の教室道具はどうなっているのだろうか。
道具のデジタル化
留学生の日本語クラスの風景。
昔とは、かなり変わった。
何と言っても、デジタル化した持ち物。
その筆頭は、電子辞書だ。
英語の他、いろいろな語学を勉強するときに、一番イヤだったことは何だろうか。
私は辞書を引くのが大嫌いだった。 めんどくさい。
もちろん、昔は分厚い紙の辞書しかなかった。
こういう 「めんどくさがりや」 は語学に向かない、という意見もある。
私もそう思っていた。
今の授業風景はというと、学生は皆、個々に机の上に電子辞書。
電子辞書は実に便利だ。 今の辞書はジャンプ機能が充実しているので、例えば英和で調べた後に、その単語を広辞苑で調べることもボタンひとつ。
知らない単語が出てきたら、躊躇することなく気軽にパッと検索できる。
しかし、どうだろうか。
めんどくさがりやでも簡単に辞書が使えることは、語学を親しみやすいものに変えただろうか???
一概にそうとは言えない。
簡単に調べたものは簡単に忘れる。
次から次へと辞書で引いても、たぶん、次から次へと忘れる。
苦労なく調べれば、調べたという作業も記憶に残りにくい。
例えばひとつの新聞記事を読むとき、学生が知らない単語がたくさん含まれている。
それをひとつひとつ、片っ端から調べながら記事を読むことは誰でもできる。
しかし、それでは、きりがない。
いつもそれをやっていると、知らない単語にぶつかる度にそこで止まってしまい、調べないと進めないということになってしまう。
わからなくても適当に見当をつけて、先に進む。
これが大切な能力なのだ。
違っているかもしれない状態は不安でたまらない、という完璧主義の人は不利だ。
それを思うと、めんどくさがりの方が勘を働かせる力がついて、いい部分もあるのだ。
どんな単語も1,2秒でパッと手軽に調べられる電子辞書は、適当に見当をつける能力を退化させるかもしれない。
だから、学生には、辞書を持っていても使わせない時間を設けて授業をしている。
「道具は進化するが、それに頼ってばかりいると、頭が退化する。」
そんな、よく聞くことばの一例かもしれない。
でも、やはり電子辞書は限りなく便利で、ぽんぽんボタンをたたいているだけで、知識が増えていくような錯覚すら与えてくれる。